佐賀県人、 大隈重信とは

第8代、17代の総理大臣を務める。 東京専門学校(現:早稲田大学)の創始者でもある。

佐賀県出身。 総理大臣は7代まで薩長出身者であったが、大隈重信がその流れを変える。語学力があり、イギリス公使パークスとも内政干渉に抵抗し、渡り合った。

自由民権運動の板垣退助と共に憲政党を作る。隈板内閣とも呼ばれ(大隈と板垣の文字を取り)た。4か月で終わったが、 日本初の政党内閣である。

二回暗殺未遂にあっている。外相時代、霞が関で爆弾を投げられ左足を失う。

大隈元首相の特徴と容姿

への字の口は堅い意思と粘り強さを感じさせ、目は明るく希望に満ち、楽観的で未来志向の性格が見える。

あれこれ手を打つが脇が甘く、波乱万丈の浮き沈みの激しい政治家人生である。が、最後は78歳で総理を退陣。歴代総理大臣最高齢である。

エピソード

維新の志士であり、若い29歳のとき、徳川慶喜に大政奉還を迫りに京都に向かった。最中捕縛され佐賀県へ強制送還される。

古い学問を嫌い、新しい思い付きであれこれチャレンジしてみる猪突猛進の気もあるようだ。

早稲田大学にはこうした明るい新種気鋭の大隈の精神性が息づいている。

西郷隆盛と嫌煙の仲だった。西郷隆盛の古い考え方に大隈は反発。征韓論論争では西郷と激しく対立した。