
第23代首相 、 清浦元総理 とは
”奎”の字が難しい…。熊本出身。
学歴も人脈も軍閥コネもまったくないが、人気もまったくなかった。
なぜ総理になれたかというと、山縣有朋にかわいがられ、いつの間にか首相になっていたのである。
貴族出身者ばかりを大臣にして、非難されたったの5か月で終了内閣。
歴代内閣でも人気のない総理として5本の指に入るだろう。
普通は新しい総理が出ると新聞の号外が出るが、清浦に至ってはマスコミは沈黙していた。そのくらい、メディアにも庶民にも人気のない人であった。
清浦奎吾の特徴と容姿
どの写真もぼんやりした御爺さんという風情である。
若い時もどうにも覇気がない。人気のない人はやはり顔にもそういう感じがあるのだった。
イケメンとは言わないまでも、せめて笑うなり怒るなりのどちらかにしたら、少しは個性が出て政権が続いたかもしれぬ。
下はヤフオクで出た昔の似顔絵だが、清浦の少々間抜けた雰囲気の特徴を捉えている。
f19110913〇明治時代著名人似顔絵 筆絵 清浦奎吾 第23代内閣総理大臣 熊本県出身 三納言画〇和本 古書 古文書明治時代著名人似顔絵 筆絵 清浦奎吾 第23代内閣総理大臣 熊本県出身 三納言画〇和本 古書 古文書220x190mm1丁虫損 汚れが有ります三つ折り状態です。清浦 奎吾(淸浦 奎吾、きようら けいご、1850年3月27日(嘉永3年2月14日) - 1942年(昭和17年)11月5日)は、日本の官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓は大久保(お
エピソード
寺の坊主の五男として生まれる。そのせいか質素な人で、出世してもボロい足袋を履いていた。
人前に出るTPOもロクになかったのかもしれない。いくら質実剛健を美徳としても、足袋がひどいのはいただけない。現代でいえば、スーツで議会に登板しながら、靴下に穴が空いているようなものだ。
鰻香内閣(ばんこうないかく)とも呼ばれていた。
ウナギの香りばかりして、実がない、という意味である。