第34/38/39代総理、近衛文麿とは

御陽成天皇の子孫にあたる、近衛文麿は、東京都出身の公家血筋の総理である。

226事件後にも打診されたが断り、帝国主義、軍国主義、全体主義が世界中に台頭しはじめ、誰も適任者がいない1937年、満を持して近衛内閣は成立した。

左翼にも右翼にも大衆にも絶大な人気を誇った近衛首相である。が、結局、軍部の暴走、 日中戦争突入の世相の泥沼が止められなかった。太平洋戦争のうねりに巻き込まれ、あげくには体調を崩して、内閣を投げ出してしまう。

日本の無謀な戦争への突入、敗戦、軍国化の責任は近衛文麿に非常に大きい。

近衛文麿の特徴と容姿

背が高くハンサム。血筋は良く京大出。就任当時は45歳という若さ。主婦や子供にも人気者。アイドルであったと言ってもいい。チョビ髭がトレードマーク。

若い時にはマルクス主義にも系統し、社会主義にも明るかった。しかし、まったくそれが政策に活かせない。頭でっかちだったのか。

センシティブな哲学インテリで表情には暗い影を落とす。

エピソード

非の打ち所のないエリートで 絶大な人気を誇ったが、誰にでも人気があるということ=すなわち無力である。

「どこにも真の支持者がいない」と自らを「マネキンガール」と卑下した。

自分の立ち位置を理解していた、ニヒリストである。それほど時流も読める頭の良い人であったが、いかんせん育ちが良すぎて勇気がなかった。政治家には嫌われるほどのある種の下品さが必要なのだ。

1945年、青酸カリで自死。

マスコミに受けがいい政治家、大衆迎合の優柔不断は国を亡ぼす。この教訓は現代にも通じる。

79代内閣総理大臣 細川護熙(ほそかわもりひろ)さんは近衛文麿の子孫である。この人も血筋や育ちの良さによって人気のあった首相である。