鈴木貫太郎の似顔絵イラスト

第42代首相、鈴木貫太郎とは

終戦記念日 、朝のNHKニュースで 鈴木貫太郎 が取り上げられたことがあった。昭和天皇の腹心で、陸軍を押し切りポツダム宣言受諾を選択した終戦のキーマン。

珍しいことに、歴代首相の中でも、関西、大阪府堺市の生まれ。

薩長以外の出身者が総理の白羽の矢が当たる場合、特に関西出身者は、国が立ち行かなくなるタイミングである。 この時こそ日本史上最大の危機を迎えていた。 適任者がいなかったのだ。

日本を敗戦へと引導を渡す、という役割の適任者である。

1945年、4月、就任時の77歳という高齢(就任時歴代最高齢)ではあったが、終戦という日本にとって最も重い決断と責任、駆け引きを引き受けたのである。

鈴木の政治的闘いは、映画「日本の一番長い日」に詳しい。

鈴木貫太郎首相の特徴と容姿

太すぎる眉毛が下がりまくっている特徴的な容姿。

どこから見てもさえない御爺さんであるが、まことの武士道の人。

エピソード

老齢の印象が強いが、元は海軍で活躍したバリバリ軍人で「鬼貫太郎」と呼ばれた。日露戦争ではロシア艦隊に魚雷攻撃を仕掛けて3隻も敵軍艦を沈めている。

昭和天皇の信任が厚く、侍従長であった。鈴木貫太郎の妻は、天皇の養育係をしており、夫婦は昭和天皇に信頼を置かれていた。鈴木は首相就任を何度も固辞したが昭和天皇が頼みこみ、ついに最後の戦いの任に着いた。

80歳近くなり、国に奉仕するはめになるとは本人も微塵も意図しなかったろう。

鈴木は人生で三回死にかけている。一度目は幼少時、溺れかけた。二回目は海軍時代に海に沈みかけ、三度目は二・二六事件である。暗殺されかけ、撃たれたが九死に一生を得た。そのために諦観と覚悟があった。

学習院で軍事教員をしていた時期があり、吉田茂が教え子の一人であった。覚悟と肝の据わり方は鈴木から薫陶を受けたのだろうか。

アメリカのルーズベルト大統領が死去し、交戦中にも関わらず鈴木は哀悼の意を表明した。その武士道精神に小説家トーマスマンは称賛し、それが世論を動かし講和へと結びついたとも言われる。

映画にオマージュとしてリスペクト表現

終戦の前日の映画を描いた、映画「日本のいちばん長い日」で鈴木は物語のキーマンとして登場する。監督は岡本喜八さん

2015年のリメイク版で 鈴木貫太郎 を演じたのは山崎努さん。

シン・ゴジラ」の平泉成さん演じた里見祐介 臨時首相は鈴木貫太郎のオマージュだと考えられる。