幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)の似顔絵イラスト

第44代首相、幣原喜重郎とは

この人も昭和天皇の希望で首相になった1人である。国際的な視野を持つ人物であり、戦後処理の役割に適任だと、吉田茂もこの人を推した。
外務大臣を経験していたが、すでに政界から長期間引退していたので、世間からは忘れられていた存在だった。就任当時は73歳。「幣原さんは、まだ生きていたのか」とまで言われた。
とはいえ、以前、浜口雄幸の狙撃時に臨時首相代理を勤めて、その期間は116日もあった。実は宰相としては素人ではない。
時代は戦後、東久邇宮稔彦王が短期間で辞職した後、その任についた。
天皇の人間宣言がなされ新憲法制定。農地改革、治安維持法や特攻の廃止、労働組合法や婦人参政権スタート。
親米派でGHQの言いなりの内閣ではあったがこれら施策がなされなければ今日の暮らしはない。結局はアメリカの占領がなければ、民主的かつ人権的な国が作れなかったのだ。明治維新といい、大きな政変と外国勢力の介入でのみ、この国は進化するのである。
幣原外交とも呼ばれ、欧米的な論理性のある交渉は高い評価を得ている。
この内閣は結局8か月程度であるが、戦後日本の再興に貢献した。

幣原首相の特徴と容姿

大戦期は暗い顔の首相が続いたが、戦後ようやく首相の顔つきも明るい。

幣原は大阪人らしい明るいイケメン顔で、戦後再建に意欲的な目の輝きがある。体つきも大きく大らかで明るい雰囲気だ。
若い時はV6の岡田准一さんに似たイケメンである。 目力が強く、清廉な印象がある。
戦時中も丸めがねの首相は多くいたが、東条英機のそれと比べ、時勢が違うだけでこうも印象が違うものだと感心する。

エピソード

大阪は門真市の出身。幣原は珍しい苗字である。
読み方を外国人に説明するとき「私はHEデハラ、家内はSHEデハラ」だとダジャレを交えた。大阪人らしいお茶目キャラである。
英語が得意。英字新聞を繰り返し英訳和訳をして取得した。東京帝国大学出である。