
宮澤喜一とは
東京帝国大学、法学部、大蔵省出身のエリートである。
卒業後に入省し42才で経済企画庁長官になり、以来、大臣を多く勤めてきた。
総理候補として何度も名前があがるものの、結局、72歳、海部俊樹内閣の後に総裁選に出馬し、総理大臣となる。
その期がなかなか熟さなかったのは、性格に難があり、敵が多かったせいである。
権力は闘争によって決めるものではなく、仁徳により押し上げれるもの
という信条の人であったが、要は、あまり好かれていなかったのである。
小沢一郎さん、 羽田孜にも竹下登、金丸信、田中角栄といった叩き上げ系の政治家たちに軒並み反感を買っていた。
元総理、宮沢さんの特徴と容姿
ほんわかとした丸い容姿、色白で晩年はゆるキャラのような可愛らしさがあった。
そのヨーダに似た不思議な容姿のせいか「永田町の宇宙人」と呼ばれた。
嫌味ったらしい学歴主義者
しかし、かわいい顔と性格は正反対だった。
学歴主義でエリート意識が強く、それをアチコチで自慢とマウンティングと嫌味を言い、非常に嫌われていた。
人に出身校を根ほりはほり聞き、京大や東大出身者が以外はろくに口を利かないという徹底さ。
他人の悪口も大好きで、性格が悪いエピソードは事欠かない。
影のボスの金丸信にワルクチや嫌味を言って怒らせた!
穏やかで怒らない性格の竹下登までも宮澤に立腹した。「あなたの出身の早稲田は当時、試験がなくて入れたんですよね~」とネチネチ云ったのだ。そりゃ怒るわ。
その結果、各有力者、各派閥に嫌わた。誰も長い間、政治的素養や知性のある宮澤氏を首相に押し上げようとはしなかったのである。
努力家で強気
英語能力が非常に高く、特に教わることなく独学で勉強したという。英字新聞を読みふける姿が有名だった。
自分に厳しい勉強家な分、他者に対する優越感やコンプレックスも強かったのだろう。
暴漢に襲われたこともあるが
脅かせば頭を下げると思ったとすれが、政治家に対する侮辱だ。いつでも戦う
と強気な発言をした。
かわいらしいおじいちゃんの外見とはうらはらに強烈な自負心のあるマッチョだったのだ。
サッカーが好き
サッカーが大好きで、旧制中学時代からやっていた。
そのせいもあり、退陣後は、日韓W杯の誘致に尽力した。当時は開催は不可能だと言われていたが、各国と地道に交渉を重ね、夢を実現させたのである。