小磯国昭(こいそくにあき)の似顔絵イラスト

第41代首相、小磯国昭とは

戦争末期、レイテにサイパン、硫黄島玉砕、大和の沈没。米軍の本土空襲とこの上ない地獄シーズンの内閣総理大臣である。
就任時、政局に疎く日本が戦争で負けまくってるのをまるで知らなかったらしい。 7年ほど、前線から遠ざかっていたせいもあるが 、陸軍人なのにそんなことがあるのかと思うが事実である。
陸軍大学校の成績は51人中33番。そのせいかどうかしらないが、イマイチ頭が良くなかったようだ。
しまいには「一億玉砕」と言って日本はしのいだ。
感染症の危機が国に迫るなか、数字や実態を掴もうとせず、官僚が作った文章を棒読みし「頑張りましょう」と精神論だけを言う現首相を彷彿とさせるが
日本という国は昔からこうだったのだ。
むしろ、この時勢に首相となった小磯は忠実な奉仕者といえる。少しでも頭が足りていたらそんな任を引き受けたりはしないだろう。
近代的な武器も知らないので参謀からもバカにされたが、小磯なりに努力し、航空機の増産を試み、終戦を試みたが無駄に終わった。どんどん負けがこみ、出身の陸軍からも見放され、1945年4月、総辞職。

小磯首相の特徴と容姿

陸軍出身者らしい坊主頭。

画像は戦時中で暗く陰鬱だが、親しみやすい容姿である。実際、陽気な性格で友人がたくさんいて、宴席で人脈を広げる今で言う愛されキャラであった。
いくら明るくて優しい陽キャでもこうまで負けまくる戦争を打破はできないのだ。小磯は人が良いのでジョーカーを引かされたともいえる。

エピソード

この死者と玉砕続出、本土決戦において、まったく何もできず手をこまねいてばかりいたので、その愚鈍さに「木炭自動車内閣」と呼ばれた。
ガソリンでなく木炭で走るくらい遅い車、という意味である。
戦後はA級戦犯となり、終身刑に。1950年に70歳で獄中死する。