
第21代、加藤元首相とは
東郷平八郎と山本権兵衛と並び”海軍の三祖”とも言われた優れた軍人である。安芸の国(現在の広島県)の出身
しかし、病弱で一年あまりで死去した。
元は海軍大臣で、政治手腕に優れていた。シベリア出兵の撤退や軍人のリストラなど思い切った改革をしている。また普通選挙を試行しようとするなど、非常に先見性が高かった優れた内閣。しかし目前にして病に倒れ亡くなる。
その8日後に関東大震災が起こる。総理大臣不在時の大災害である。外務大臣の内田康哉が臨時で総理を兼任する。
平成の震災時はしっちゃかめっちゃかであったが、大正のあの震災時は総理がいなかったのである!それでも何とか?なったのは、日本が強運なのか、災害慣れしているからなのか。
加藤友三郎の特徴と容姿
病弱な割には優れた功績を遺した発揮した内閣だったが、人気がなかったのは容姿ゆえ。
病気がちなうえ、貧相で背が低いので、 「ミイラ」「ろうそく」と呼ばれた。 「残燭(ざんしょく)内閣」とも。どんな良いことをしても結局顔で判断されるのだから政治家というのは因果なものである。
加藤は、いわゆるカエルやトカゲなどの爬虫類系の容姿。
日本の総理大臣には時々この爬虫類系が登場するが、いずれも長期政権にならない。一年程度で終わる。頭が良い人が多いのだが大衆の受けが悪いのである。
エピソード
胃腸が弱く、よくトイレに入っていた。しかし、酒豪でもあった。死亡の原因は大腸ガンである。
性格も陰鬱で、無口で黙りこくっている人。
コミュ障でキモメンは結局損をするという日本的悲劇がある。