
第43代首相、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)とは
太平洋戦争直後の占領下に就任した総理大臣。
鈴木貫太郎内閣は終戦と同時に辞職した。この後の占領下の日本をどう乗り越えるかの白羽の矢が立ったのが東久邇宮である。
舌を噛みそうな名前は皇族だからである。歴史上、唯一の皇族内閣である。政治には素人だが、今までの軍隊と何のしがらみのない皇族が選ばれた。
要するに誰もなり手がおらず、ババを引かされた気の毒なお公家さん首相である。当然、宰相の任は断ったが、昭和天皇の願いで引き受けるはめになった。
戦中末期、そして敗戦と、昭和天皇は日本のためにこうして人事に口を出している。
GHQの引き受け軍部警察のリストラ。戦後処理は混乱と混迷を極めたが、 東久邇宮首相は進駐軍の対応も何とかやり終えた。
日本はまだ敗戦のままGHQの支配下にあった。
記者会見で国民は「一億総懺悔」すべしと言い国民につるし上げられ退任した。
しかしどないせいちゅうっどすえと言いたかったろう。負けたあと、失敗したあとの後始末が一番大変なのに…。
東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや なるひこおう)の特徴と容姿
在任期間が一番短いのが我が故郷、滋賀県の宇野さんだと思い込んでましたが、もっと短い人がこの人。
54日、京都出身。(※戦後は羽田さんが一番短い。次は石橋さん、宇野さんは3番目に短命内閣)
眉が変なのは普段からお公家さんのような感じだからどうか。どことなく浮世離れした雰囲気である。元々政治家でないから当然であろう。
総理辞任後の数奇な運命
面白いのが退任後のこと。闇市で食料品店をやったり、アンティークショップをしたり。しまいには、新興宗教を立ち上げたり。詐欺にあったりと踏んだりけったり。元総理でそんな人はいまい。
この人の戦後の大きな功績と個性的なキャラはもっと評価されてもいい。
波乱万丈の人生だが、長生きした。近年の中曽根康弘さんの寿命が101歳だったが、この人は102歳まで生きた。歴代一位の長生きの記録は打ち破られていない。
存外、自由で楽しい人生だったのかもしれない。